まとめ:コムデギャルソン論争|吉本隆明 埴谷雄高
コムデギャルソン論争
吉本隆明と埴谷雄高の「コムデギャルソン論争」についてまとめたものです。
吉本隆明(よしもとたかあき)Wikipedia
1924年(大正13年)11月25日〜2012年(平成24年)3月16日
日本の思想家、詩人、評論家。
漫画家のハルノ宵子(長女)、小説家のよしもとばなな(次女)の父。
(左)
埴谷雄高(はにやゆたか)Wikipedia
1909年(明治42年)12月19日〜1997年(平成9年)2月19日
日本の政治・思想評論家、小説家。
(右)
ことのはじまり
1984年、女性誌「an an」にコムデギャルソンを着て登場した吉本隆明を、埴谷雄高が「資本主義のぼったくり商品を着ている」と批判。
吉本は消費社会肯定の立場から、今までの古典的な大問題(たとえばマルクス主義の問題)と同じ資格でデザイナー川久保玲の仕事(今まで「小」問題とされてきたファッションなどの「サブ・カルチャー」)を「重層的に」とらえ評価する。雑誌「アンアン」は、吉本にコム・デ・ギャルソンを着せて登場させ、自宅のリビングを改装した書斎の「シャンデリア」のもとで仕事する吉本を大写しした写真を載せた。埴谷雄高は「それを見たらタイの青年は悪魔と思うだろう」と述べて、吉本と論争がしばらく続いた。敗戦後論とポストモダニズム(電子版)- 野崎次郎
an an(アンアン)1984年9月21日号(No.446)
「現代思想界をリードする吉本隆明のファッション」
COMME des GARCONS HOMME のジャケット、シャツ、パンツ、タイを着用。
小田光雄「古雑誌探究」
19「アン・アン」とコム・デ・ギャルソン論争(目次より)
吉本氏の反論
「アンアン」という雑誌は、先進資本主義国である日本の中学や高校出のOLを読者対象として、その消費生活のファッション便覧の役割をもつ愉しい雑誌です。総じて消費生活用の雑誌は生産の観点と逆に読まれなくてはなりませんが、この雑誌の読み方は、貴方の侮蔑をこめた反感と逆さまでなければなりません。先進資本主義国日本の中級ないし下級の女子賃労働者は、こんなファッション便覧に眼くばりするような消費生活をもてるほど、豊かになったのか、というように読まれるべきです。吉本隆明「重層的な非決定へ」より(2012年10月25日 <新装版> 出ました)
かなり経ってからの吉本氏インタビュー
コム・デ・ギャルソンの川久保玲さんというのはすごくいい人なんですね。だいたいモデルになると着た着物に関してはくれるって言うのだけど、コム・デ・ギャルソンはくれなかったですよ。最後までそういうのは貫徹していましたね。大した人だなと思いました。ですから埴谷さんに言われてもあんまり堪えなかったですね。現代思想2008年8月臨時増刊号 総特集 吉本隆明 肯定の思想 より
添田馨「吉本隆明―論争のクロニクル」
花田清輝、埴谷雄高、鮎川信夫、小浜逸郎。
そしてコムデギャルソン、ロス疑惑、地下鉄サリン事件。
吉本隆明が最後に遺した三十万字〈下巻〉「吉本隆明、時代と向き合う」
9・11アメリカ同時多発テロ、少年犯罪、引きこもり、グローバル資本主義、自衛隊法「新しい歴史教科書を作る会」etc.
吉本隆明は2000年以降、時代をどう読んだのか。
こちらにも、内田樹さんによる「コムデギャルソン論争」についての解説が載っているそうです(未読)。
糸井中沢新一+糸井重里 talk about 吉本隆明 - ほぼ日刊イトイ新聞
きっと、埴谷さんとしては、「吉本はおしゃれじゃないところがよかったのに、コム・デ・ギャルソンを着たらけっこう、似合ってるなぁ」ということだったのでしょう。
中沢
そうでしょう。
当時は、「くだらいない」「不毛」といった類いの意見が多かったようです。